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社長を支え会社を守る谷幸のナンバー2、庄(しょう)からみた谷幸のこれまで、そしてこれから

東京品川区を拠点に活動している左官集団、谷幸です。弊社には高い技術力と志をもった真の職人が在籍し、少数精鋭のプロ集団として日々お客様の満足を追求しています。

今回は会社の屋台骨ともいえる社長の片腕、庄(しょう)の登場です!社長との付き合いは5年以上、谷幸の設立前から社長の谷口と苦楽を共にしてきたメンバーです。そんな庄に谷幸にかける熱い想いを語ってもらいました。

―今では谷幸のナンバー2として活躍していますが、谷口社長との付き合いは長いのですか?

かれこれ5年以上になりますね。谷幸になる前からの付き合いです。もともと私と社長の谷口は同じ会社にいたのですが、ある時社内で同じ班に配属され、その時に先輩後輩の仲になりました。谷口は「俺は昔は尖ってた、こわかった」と言いますが、実はそんなことはないのですよ。同じ班になったときは他に班長がいて私も谷口も班員だったのですが、その班長がとても厳しくノルマもきつかったので、谷口はいつも班員である私たちをかばってくれていました。谷口はもともと関西なので言葉のきつさはあると思いますが、根はとてもやさしいですよ。自分で自分のことを「やさしい」とは言いませんけどね。照れですかね。

―昔の谷口社長はどんな感じでしたか?

その班にいたときに、あまりにも仕事が辛いので「みんなで独立しよう」ってなって、新たに谷口班ができたのです。自分以外にも何人かが谷口班になり、最初はそれこそ本当に“楽しく”やっていました。今までの反動で谷口は全然怒らないし、とにかく和気あいあいとやっていたのです。でもそれではやっぱりダメなんですよね。休憩はたっぷり取り、仕事に緊張感もないのでだらけてくる。普通なら3人工で終わるような現場も倍近い人数で入ったりと、周りから見て「谷口班は遊んでる」って思われていました。仕方がないですよね。そんなではありましたが、やがて谷口班が会社として独立することになり、谷幸になってからも最初のうちはあまりこの雰囲気は変わらなかったですね。

―谷幸になってから谷口社長は変わりましたか?

谷幸になってからというより、ある事件がきっかけで変わりましたね。去年、実は社長と大喧嘩したんですよ。せっかく谷幸という会社になったのに、メンバーの気持ちはバラバラ。挨拶もろくにしないし、コミュニケーションも円滑に取れていない。本当に環境としてしんどいものがあったので、思っていることを全部社長にぶつけました。社長も社長で思っていることがあったので本当に大喧嘩ですよ。狭い車の中で。でも、自分も社長も会社を良くしていきたいという共通の思いが根底にあり、その方向性や方法でぶつかったり器用にできていない部分もあったので、お互いをさらけだしていろいろ確認できたのは良かったですね。最後にはお互い大泣きして、抱き合って、これからも一緒にやっていこうってなりました。事件というか、本当にその後の谷幸を決定付けるような象徴的な出来事でしたね。

―事件後、会社はどのように変わりました?

理念とか社内制度とか、そういう会社の中身の部分を整えていく作業に着手しました。それは社員全員を巻き込んでみんなでやったことなので、納得のいくものになっていると思います。それから何より谷口社長が変わりましたね。社長は根はやさしいのに、腕一本で職人道を突き進んできたから一匹狼的なところもあって、人の話なんて聞く耳もたないみたいなところもありましたね。新しい考えや取り組みに対しても「俺には関係ねぇ」って突っ張ったりして。でも、それが嘘みたいに変わったんですよ。喧嘩したあとは人が変わったみたいに柔軟になって、ちゃんと人の話も聞くし、社員の意見にも耳を傾けてくれる。ある程度大人になると自分を変えるって勇気がいることだと思うんですが、社長はそれをやってのけたのはすごいと思いますよ。相当な葛藤があったはずです。でも、社員も本気で社長にぶつかっていったから通じたのかもしれないですね。お互いにとって嬉しい変化でしたね。社内のコミュニケーションも活発になり、みんな気持ちをため込まず言いたいことを言い合える関係になっていると思います。毎日が気持ちいいですよ。

―昔と今で仕事に向かう姿勢は変わりましたか?

ガラリと変わりましたね。昔はひたすら受け身で、毎日ただ言われたことをやっているだけの日々でした。「今日の分の仕事をこなせればいいや」って程度のことしか考えていなくて
その日暮らしでしたね。ところが今は社内制度も整ってきて、自分の責任でやれる部分も多々あるのでやりがいがあります。現場管理やスケジュール管理、それから実行予算も立てているので工夫のしがいがありますよ。気持ちの余裕もできたので、目の前のことだけではなく会社の将来のことも考えています。社長も社員も、今、本当にみんなわくわくしているんですよ。左官という絶対的な技術は持っているので、今後はそれをどうやって発展させていくか考えています。

―今後、谷幸はどのような方向に展開していくと思いますか?

私が中国出身なので日本の左官技術を中国でも広めたいというビジョンはありますね。中国にも左官工法はあるのですが、クオリティは圧倒的に日本の方が高いです。日本の左官は世界に誇れる技術だと思います。何よりも仕事が丁寧なので、仕上がりの良さはもちろん高い耐久性や機能性も持ち合わせている。クロスや塗装にはない質感は唯一無二だと思いますよ。今は大量消費の時代でなく、本物を見極め良いものと長く付き合うような流れになってきていますので、左官は時代のニーズに合っていると思います。私たちはただ漠然とグローバル展開と言っているのではなく、そこに需要があり、この素晴らしい技術を伝えなくてはならないという必然もあると信じているので本気でやっていきたいですね。来年には調査に行くことになっています。実現に向けてどんどん動いていますよ。

―会社で実現したい夢は?

谷幸の理念にも繋がるのですが、まずは毎日笑顔で働くということですね。

谷幸には「私達は人に必要とされ役に立ち幸せと笑顔を届けます!!」という理念があります。半年以上かけてみんなでつくりあげました。この理念には左官という技術が社会にとって役に立ち貢献できるものでありたいという希望と、自分たちが毎日笑顔で働くことの重要性が含まれています。笑顔は連鎖するので、自分たち、お客様、どんどん笑顔で繋がっていけるといいですね。

そして、夢を共に実現していく仲間もどんどん増やしていきたいですね。今、谷幸には社長の他に私ともう一人社員がいて、他にベトナムから技術を学びにきている若い職人が3人いますが彼らはやがて本国に帰っていってしまいます。今後は社長をはじめ私たち社員も管理側の仕事にまわることを考えると、長く一緒に働ける職人を新たに加えていきたいです。研修施設もあり私たちも惜しみなく技術を伝授するので確実に成長できると思いますよ。

過去のいろいろがあって、今ようやく仲間を受け入れる環境が整ったと感じています。谷幸は始まったばかりの会社なので、共に成長できるという意味ではやりがいがあると思いますよ。